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キングダムの史実について語る~長平の虐殺を起こした張本人 白起~

どーもこんにちは。友努 勝(ともゆめ まさる)です。

 


今回はキングダムの白起というキャラについての史実を語っていきたいと思います。 白起といえばキングダムにおいては秦六将という立場でしか出ておらず、実際に軍を率いて戦ったシーンはありません。

(ちなみに秦六将についての史実はこちら)

masaru-tomoyume.hatenablog.com

ですが、長平40万の虐殺はキングダムの中では有名な話となっています。今回はそんな白起の史実を紹介していきたいと思います。

 

 

白起は六将筆頭の名通り史実でも素晴らしい戦績を残しています。まず、白起の初めての大戦は紀元前293年伊闕(いけつ)の戦いです。実は、ここでも大量虐殺をしており、24万の人を斬首しています。

 

 

翌年、魏の城を攻め、大小61の城を落としています。61の城ってすごいですね。キングダム作中では、摎が落とした城は王騎との約束の一つ手前ですから99ということになります。これの半分以上を一回の戦いで落とすとは、なかなかの化け物ですね。

 

 

紀元前273年には魏の華陽を攻め、魏、韓、趙の兵士合わせて13万人を斬っています。白起という男は戦いの天才でありながら多くの虐殺を行ったことでも有名です。長平40万の虐殺もそれが初めてではなく、何度か大きな虐殺を行ってからのものだったんですね。

 

 

そして紀元前260年、ついに長平の戦いが起こります。長平の戦いの史実については詳しくはこの記事を参照ください。

masaru-tomoyume.hatenablog.com

 

 

そんなこんなで戦の天才であった白起ですが、最期は意外な終わり方をします。なんと、自害でその一生を終えるのです。白起が自害に至るまでの経歴をここでは書こうと思います。

 

 

まず、長平の戦いで趙の王都・邯鄲を包囲した白起は、陥落まであと一歩のところまで邯鄲を追い詰めます。しかし、手柄が渡った白起の武功で自分の地位が危ぶまれると危機した当時の秦王の側近・范雎はわずかなお金で趙と和睦してしまいます。もちろんこれに白起は激怒し、自分の屋敷に閉じこもってしまいます。翌年、またも趙の王都邯鄲を大軍で包囲するも、邯鄲は落ちず、逆に魏の信陵君(しんりょうくん)と楚の春申君(しゅんしんくん)によって秦は滅亡寸前まで追い込まれます。困った昭王は白起を使おうとしますが、長平の戦い以降、干されていることを根に持った白起は仮病を使って屋敷に閉じこもります。このチャンスを逃してなるものかと范雎は白起の風評を下げ、ついには昭王が白起に自害を命ずるまでになります。ついに紀元前257年、白起は自害しその生涯に幕を下ろしたのでした。

 

 

 

 

いかがでしたでしょうか?キングダムで白起といえば秦の六大将軍の筆頭であるため、何となく戦に強いイメージをお持ちの方も多いでしょうが、戦に強いだけでなく虐殺や味方うちの裏切りなど、波乱万丈な人生を送ってきたのが白起という男なんですね。これを機に白起の活躍シーンを読み返して頂ける方が増えると幸いです。

 


関連キャラの名シーン、名言のまとめはこちらです。こちらもぜひご覧ください。

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