キングダムの史実について語る〜キングダムでは活躍なし? 春申君〜
どーもこんにちは。友努 勝(ともゆめ まさる)です。
今回はキングダムの春申君というキャラの史実をまとめていきたいと思います。
春申君といえば、キングダムではあまり活躍のないキャラですよね。合従軍失敗したり李園に暗殺されたり…。ですが史実ではこの春申君、中華に名を轟かす偉人であります。春申君は当時、戦国四君という、名前に「君」のついた4人の有力な政治家の一人であります。この4人のせいで、後に中華統一を果たす秦も東への侵攻が遅れたと言われています。戦国四君のことは蛇甘平原の戦い、キングダム5巻にも書かれているのでそちらもぜひ参照ください。
(ちなみに蛇甘平原の戦いのあらすじはこちら)
さて、このページでは春申君の史実についてもう少し詳しく語っていきたいと思います。
春申君は秦の人質となっていた時代がありました。紀元前274年ごろ、秦は魏と韓を率いて楚を攻める準備をしていました。これに対し春申君は「大国の秦と楚が戦っても弱国の魏と韓が得をするだけだ」と秦王に上奏し、見事に和平を結びました。ただし、和平の証として春申君と考烈王(キングダムでは下の画像の人です)が秦の人質となってしまいました。
10年ほど経ち、紀元前264年、楚では前王が死去します。秦にいたままでは別の王が即位してしまうと恐れた春申君は秦の丞相に頼み込み、2人を楚に返してもらいます。そして、春申君は考烈王を王とし、その功で宰相となります。このあたりは信が生まれる前の話なので、キングダムでは全く描かれていませんね。
紀元前258年、例の長平の戦いをキッカケに趙は王都・邯鄲を包囲されます。
(ちなみに長平の史実についてはこちら)
同じ戦国四君の一人・趙の平原君は楚に対し秦に軍を向けるように要請します。この時楚軍を率いたのが春申君であり、逆に秦を滅亡寸前まで追い込んでいます。合従軍のことも考えると、春申君は何度も秦を滅亡寸前まで追い込んでいるんですね。
紀元前241年キングダムでもお馴染み合従軍を率いて秦に攻め込みます。
(ちなみに合従軍編のストーリーのあらすじはこちら)
この後春申君の死についてもキングダムの通りですので、割愛させて頂きます。気になる方はジャンプコミックス41巻をご確認下さい。
いかがでしたでしょうか?春申君はキングダムでは活躍の少なかったキャラですが、本当はすごい人なんです(何度も言いますが)。これを機に春申君の活躍シーンを読み返して頂ける方が増えると幸いです。