キングダムの事なら友努勝

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キングダムの史実について語る~悲運の英雄 李牧~

どーもこんにちは。友努 勝(ともゆめ まさる)です。

 


今回はキングダムの李牧というキャラの史実をまとめていきたいと思います。

 


キングダムの作中では、趙の国内では李牧は有能ですが、上司に恵まれてない感じがしますよね。王である悼襄王は贅沢の限りを尽くし、国政を顧みていません。また、その周りにいる郭開も王の機嫌を取ることのみ考え、李牧が一人で政治を行っているという現状があります。では、李牧は史実ではどのような人生を送ったのでしょうか。タイトルの「悲運の」というところにも触れながら語っていきたいと思います。

 

 

 

 

まず、李牧はもともとは趙の北方、雁門(がんもん)という場所の長官であり、そこで国境防衛のため、地方政治を任されていました。しかし、そこでは李牧は一度も出陣せず、匈奴(趙の北方の人々)だけでなく、趙の国内の人からも臆病者とされていました。これゆえ、一度は雁門の守備の任を解任されます。変わった雁門の統治者は勇猛にも打って出ますが、大きな被害を出してしまいます。ゆえに趙王・悼襄王はもう一度李牧を雁門の統治者として任命します。李牧を臆病者だと思っていた匈奴の王・単于は攻め込んできますが、これこそが李牧の作戦だったのです。単于を罠に嵌め、10万を全滅させてします。ところでキングダムの作中でも、馬陽攻防戦の前に匈奴10万を全滅させています。

(ちなみに馬陽攻防戦のストーリーのあらすじはこちら)

masaru-tomoyume.hatenablog.com

 

 

その後、数年たち、趙奢や廉頗といった将軍を失った趙は北方守備で大功を挙げていた李牧は王都・邯鄲に召集された。

(ちなみに廉頗の刎頸の交わりについての史実はこちら)

masaru-tomoyume.hatenablog.com

紀元前233年、秦は趙の赤麗、宜安を落とそうとしますが、李牧がこれを撃退します。翌年、秦は趙の番吾を攻めますがまたまた李牧がこれを撃退します。この当時、秦の攻撃を退けたのは項燕と昌平君に率いられた楚のみでした。このことからも李牧が有能なことがわかりますね。

 

 

そんな李牧ですが、最期が非常に悲惨なものとなっています。そういう意味で、タイトルを「悲運の」としたんですね。李牧の死の直前、王は悼襄王ではなくその息子の幽繆公(ゆうぼくこう)という男がなっていました。ここで悪さをするのが郭開なんです。守備の名手として名をはせていた李牧を更迭するために、秦が郭開に賄賂を贈って幽繆公と李牧を引きはがそうとしたのです。作戦は成功、郭開は李牧のあらぬことを幽繆公に吹聴し、李牧は捕えられ、誅殺されてしまいました。

 

 

 

 

いかがでしたでしょうか?李牧のように有能でありながら周りの人物に恵まれず悲運の死を遂げた人は長い中国の歴史の中でごまんといるのでしょうね。今度はそれをまとめてみるのも面白そうですね。

 


関連キャラの名シーン、名言のまとめはこちらです。こちらもぜひご覧ください。

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