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キングダムの史実について語る~各将が奮闘する熱い展開 合従軍編~

どーもこんにちは。友努 勝(ともゆめ まさる)です。

 

今回はキングダムの合従軍編の史実について語っていきたいと思います。

 


合従軍編といえば、キングダムの中でも1、2を争うほどの長編ですよね。

(ちなみに合従軍編のストーリーのあらすじはこちら)

masaru-tomoyume.hatenablog.com

皆さんの中でも、キングダムでどのストーリーが好きかと問われた時、合従軍編を答える人は多いのではないでしょうか。実は私もその一人です(笑)。それでは今回はそんな合従軍編は実際の史実ではどのようなものだったのかを語っていきたいと思います。

 

 

キングダムでは非常に大きな出来事として扱われている合従軍ですが、実は史実に残るのは簡略な記述のみです。春申君が合従軍を率いていたことは間違いありませんが、李牧はこの当時趙の北・雁門の守備の任についており、合従軍に参加するということはあり得ません。1国対5国の争いなので、相当激しいものであったと誰もが予想するとは思うのですが、歴史書に記述が少ないのはなぜだったのでしょう?その理由について私なりに少し考察してみます。

 

 

私が思うに、史実ではキングダムの作中ほど合従軍は機能しなかったのではないかと予想します。各国の思惑が入り乱れる中、5か国をまとめるというのは並大抵のことではありません。実際、キングダムの作中でも昌文君が形となった合従軍は楽毅の合従軍のみであったと述べています。楽毅はバリバリの武人ですが、いくら偉大といえど春申君は文官です。各国も合従軍のために兵を出せなかったのではないでしょうか?

 

 

また、龐煖が各国の精兵を率いて蕞を攻めたというのはきちんと史実にある話です。それが抜けなかったというのも史実であります。しかし、政王が蕞まで赴いたという記述はなく(当然といえば当然ですが)蕞での攻防がどのようなものだったのか明確に記されている歴史書もありません。はっきりとした史実もない中、あれだけのストーリーを書ける原先生には感服します。

 

 

 

いかがでしたでしょうか?合従軍編は全体的に原先生の脚色が大きいようです。具体的な史実なしにこれだけの感動作品を生み出せる原先生はさすがですね。(まぁ具体的な史実がないからこそ自由にストーリーを作れるという面もあるでしょうが…)これを機に合従軍編を読み返して頂ける方が増えると幸いです。

 

 

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