キングダムの史実について語る~廉頗と藺相如の深き仲 刎頸の交わり~
どーもこんにちは。友努 勝(ともゆめ まさる)です。
今回はキングダムの廉頗と藺相如の史実について語っていきたいと思います。廉頗と藺相如といえば、キングダム内では趙三大として有名な武将であり、秦の六大将軍のライバルのような立ち位置になっています。しかし残念ながら、秦の六大将軍と同様に、趙三大天は史実には存在しなかったんですね。
(秦六将についてはこちら)
masaru-tomoyume.hatenablog.com
では今回は趙三大天の廉頗と藺相如がどんな人物だったのか。また、故事成語にもなった「刎頸の交わり」というものを紹介していきたいと思います。
- 廉頗
廉頗はキングダムのキャラ通り、史実でも豪胆な性格でした。それゆえ趙の悼蘘王(とうじょうおう)の反感を買い、当時の2番手の将軍であった楽乗(がくじょう)と戦争を起こし、魏に亡命しています。ここまではキングダムのストーリーと同じですね。ですが、魏において軍を率いたという記載はなく山陽攻略戦は廉頗ではない将軍が戦場に立っていたことになります。
(山陽攻略戦のあらすじはこちら)
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その後、楚に亡命するということもキングダムのストーリーと同じで、結局楚では大した武功を挙げられずに死んでしまいます。この最期は本当に悲しいですね。中華を荒らしまわった豪傑が戦場に行く機会をもらえずに病気で死ぬとは・・・。人の一生はわからないものです。
- 藺相如
藺相如は趙三大天として、あたかも武官のように紹介されていますが、基本的には政治を中心に行っていた文官だったのです。「刎頸の交わり」以外にも「完璧」という故事成語でも知られており、これらのストーリーは高校の教科書にも載るほどの大人物であります。キングダムの中ではストーリーが始まる前に死んでしまっていたので、地味ーな感じですが、廉頗と並んで中華の歴史に名を残した人物なのです。
- 刎頸の交わり
ではいよいよ刎頸の交わりというところについて語っていきたいと思います。刎頸の交わりの原文についてはこの記事を参照してください。
まぁこのストーリーを要約すると、以下の通りです。
「廉頗は藺相如の異例の出世をねたんでいた。あるとき、廉頗と藺相如が道ですれ違ったとき藺相如は隠れた。藺相如の部下たちがなぜ廉頗を恐れるのかと問えば、藺相如は今廉頗と争って国力を下げることを避けるためだといった。この器の深さに感激した廉頗は深く陳謝し、互いのためなら首をはねられても構わないという『刎頸の交わり』を交わすことになった」
藺相如かっこいいですね。個人が大変な時にしっかりと大局を見ることができる人物はそうはいませんよね。また、廉頗も自分が悪かったと認めたはとことん謝るという快活さを持っています。この快活さはキングダムでよく表現されていますね。
いかがでしたでしょうか?廉頗や藺相如の史実を知っていると2人の活躍シーンもまた違って見えるかもしれませんね。これを機に、廉頗や藺相如の活躍シーンを読み返して頂ける方が増えると幸いです。